先日歩いた時に、コースに付けられたテープガイド表示が古くなって見えにくい感じがした。それで、印の更新をしようと考えた。
もう一つは、GPSロガーの設定変更確認。現状のGPSロガーの設定は、「標準」。これは、本体が速度や方向の変化を基準に、記録するタイミングを判断する。一般的にはこれで良いのだろうが、平均時速1km/Hや2km/Hだと、自分のイメージと記録された軌跡にギャップが生じる。
今日は、ログをとるタイミングを5秒間隔に設定してみた。その効果の確認である。
11時20分、夷農業公園駐車場に車を停め、雨具と水と、途中のコンビニで買ったバナナと梅おにぎりとどら焼きをリュックに放り込んで歩き始める。空の具合はまずまずで、天気予報も夕方から小雨。
ゆっくり足をならしながら800メートルほどの前田口へ。賑やかな看板が立ち並んでいる。登り口には、庚申塔や三界萬霊塔などの石造物が所狭しと立ち並んでいる。その間の狭い登り口がスタートとなる。 |
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庚申塔 |
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三界萬霊塔 |
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のぼりはじめて程なくの右手に、「おなさばあさんの物語」が書かれた看板が置かれている。かなり薄れているので、しっかり書き写しておこう。
おなさばあさんの石像は見当たらない。
おなさばあさん
明治、大正、昭和にかけて、およそ五十年、産婆のおなさばあさんとして、村の人から喜ばれた。その人は、本名板井テルさん。明治八年羽根に生まれ、縁有って、道園に嫁に来られ、近くの名医板井春哉先生に師事して、産学を習得し、女盛りの三二歳の頃から、両夷に前田長小野は勿論、その風声の影を慕いて、請願に来る者 昼夜の別なく、時には夜更けの凍てついた雪の山道を提灯片手に飛んでいった事もあったと云う。こうして、ばあさんに産ぶ湯を取ってもらった赤ちゃんも、今は八十の髪白く、先年発起者ありて、ばあさんの姿像を石造し、以てその遺徳を偲ぶや、亦切なるものがある。 |
平成元年六月 ばあさんを偲ぶ会一同 |
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このコースには、擬木のステップなどで結構わかりやすく整備されている。されど、やはり分かりにくい分岐他の要所には、誰かが付けた古い赤テープや青テープが巻かれたり、紐がぶら下がっている。これらは、色あせて見落としてしまいそうになっている。ならば・・・と言うことで、とりあえずの印更新作業を試みた。
なるべく次の印が見えるよう、また、印は前田口から進行方向に向かって右側の木に統一しながら付けてみた。(それが良いのかどうかも今後のテーマ)
ビニール系の紐は、木々の生長を邪魔する可能性があるので、十分余裕ある付け方とした。・・・基本、仮の印である。後日見た目の優れるものに変えていく予定ではある。さて、どうしよう?
GPSロガーは、補足する衛星の数が多いほど精度が得られる。いつもは、首からぶら下げているのだが、これでは体が衛星の影を作ってしまう。・・と言うことで、リュックの最上ポケットに収めた。 |
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順調に、マーキングをしながら、6月29日に福岡からのウォーキング客が引き返した地点に到着した。実は、30人ほどをガイドして歩いたのだが、その中の一人が脱水症状で歩けなくなり、ここから前田口に引き返した。
道は、さらに大きく下り、大きく登って、また下ると、右手に「小野迫へ」の下山口が有り、左手には、「坊中へ」の下山口となる。
坊中への下山口はここから50メートルほど左に進む。尾根の右手に擬木の階段が谷へと下っている。
それを下らずに、まっすぐ進んで、瘤に登れば、「トラ御前」と呼ばれる石造宝篋印塔がある。ここは眼下に広がる絶景が眺望できる絶景ポイントでもある。
もちろん、トラ御前に立ち寄った。足下には坊中の谷に、霊仙寺、実相院、六所宮が並んでいる。少し震えを感じながらトラ御前と絶景をカメラに納めた。
ここで雨が降り始めた。結構強く降り始めたので、以降を断念して下山を決めた。 |
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狩り場の割れ石が見える・・・天気はまずまず |
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坊中へ・・進行方向から振り返って撮影画像 |
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小野迫へ・・進行方向右手へ下る |
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